2016年9月16日金曜日

持たざることを誇れ。

持てる者を羨まず、持たざることを誇れ。
我が身こそ輝かせよ。主の御名によって。

2016年6月8日水曜日

呼吸

春が来て、夏が過ぎ、秋が通り抜け、また冬が来て、幾年月。

ある冬の日に力尽き、春をやり過ごして、新しい夏を待っている。

状況は大きく変わった。

小さくとも生きることを許されて、怒りはすっかりと萎んでしまった。諦めとも達観ともいえない、静かな感情の中で、今は時間が過ぎるのをじっと待っている。去るべきものは去り、最小限の人間関係だけが残った。

なんと心地の良いことか。

ただ風に吹かれ、雨に打たれ、日差しの中で新たな熱を蓄える。流れに身を委ねて呼吸だけを続けること、それだけの毎日だが、そんな原始的な営みが今はとても愛おしい。

水面で大きく喘ぐ魚のようだった、あの息苦しい日々が、遠い昔の出来事のように思える。いずれまた湯のぼせするような日常に戻るにせよ、今日このときの記憶に立ち返ることが出来るならば、煮上がってしまう前に、涼やかな場所に移ることもできるだろう。

繰り返されされても、避けどころは必ずどこかにある。

今日は深く長く、呼吸を続けよう。呼吸の記憶をこの身に刻み込ませ、憂し事をすべて吐き出せるように。

2013年3月16日土曜日

梯子


どうも、お人好しが過ぎたらしい。

何度梯子を外されても、その度に自力で降りるか、居直って更に高みに挑んできたが、まさか、今度は昇らせた屋根まで壊しにかかられるとは。辛うじて梁(はり)にしがみついてはいるが、次に棟木まで倒されたら、もうひとたまりもない。何も好き好んで昇った梯子ではない。昇れと命じられれば従うのが組織の理だからだ。豚ならおだてればホイホイ昇るだろうが、こちとら強要のもとに昇らされている。梯子を外されるのは、出鼻から分かっているのだ。だからこそ、梯子を外された後のことを考えつつ、嫌々足場を踏んでいく。梯子ごとなぎ倒される不安とともに。

とどの詰まりは、彼奴らが、彼奴ら以外の誰かを落として、彼奴らが安泰を得たいがために、利用していただけなのだ。これでは、炒られて踊る豆よりも惨めじゃないか。
不思議と怒りは感じない。憐れみすら憶えない。害を及ぼす相手に対して、強い拒絶の感情を抱くのは、罪深い人間の本能だとは思うのだが、それもない。

淡々と消したい。手段は問わない。情状酌量だなんてとんでもない。身体を巡る血の熱が、次第に冷たくなっていく。

冬よりも、凍てつき、渇いた春を届けよう。硬い氷ほど、無慈悲で恐ろしいものはないのだ。

2012年9月12日水曜日

覚悟。


 日常、輸入食材が多いのは、特段、西洋かぶれだからではない。現状を見比べて「よりまし」であるものを選抜した結果だ。

 元々、和食と呼ばれる食品の原材料である、大豆や小麦粉はほとんどが輸入に頼っている。輸出国が生産する穀類の多くは、遺伝子組換えによる品種で、残留農薬の基準値も、自国消費のそれよりも緩くなっている。極論すれば、和食の名の下に、持ち込まれた毒を食んでいるといってもいい。

 残留農薬、遺伝子組換え、内分泌撹乱物質、底質汚染。口に入るものに対してつけるケチなど、言いだしたらきりがない。ちょっと前ならみんなして、保存性の高い食品や、廉価な輸入食材を蛇蝎の如く嫌っていた。それがどうだ。

 リスクの程度よりも、「危険性の流行」に眼を奪われて、元の問題は置いてけぼりだ。

 騒ぐ問題の対象はコロコロ変わるが、騒ぐ連中はいつも同じ顔ぶれだ。 要は輸入された毒を食うか、汚染された飯を貪るか、それだけの違いだ。

 大事なのは覚悟。守るべきもののために何を採り、何を捨てるかという覚悟。なにもかも選ばないというのなら、その覚悟も必要。たえず変化を続けて、生き残らなければ、何も遺せない。

2012年8月29日水曜日

無様。

 また彼は逃げ出した。立場と都合が悪くなるその度に、「お世話になりました」「ありがとうございました」と字面だけの感謝と惜別を述べ、そこからいなくなった体を装う。それをまた繰り返したのだ。彼にはきっちりと河岸を変える度胸も潔さもない。僅かに水面下に潜み、水面の塵が流れ去るのを受動的に待っている。陸に上がれば水底は丸見えだというのにもかかわらずだ。

 トカゲの尻尾でさえ、そう何度も自切できるものではない。しかし彼は、逃げ出した後も、新たな居場所で新たな物語の主人公を演じ始めるたびに、自分が切り捨てた、自分そのものは何度でも再生できると信じきっている。

 自分の手で傷つけ汚してきた時間を、そうそう都合良く切り捨てられるはずがない。過去は切り捨てるのではなく、乗り越えて、より逞しくなった(または傷つき衰えた)両腕で丸ごと抱えるか、あるいは地に降ろして死ぬまで牽き続けていくものだ。捨て置いた過去は、誰かに都合良く改竄されて見せ物にされるのが関の山だ。

 それでも彼は逃げ続ける。これで何度目の敵前逃亡だろうか。

 彼にしてみれば、逃げる河岸があるだけ、まだ余裕があるのだろう。青いカバーの手帳を振りかざし、公に扶助されることが当然だと主張しながら、自分自身は道楽に勤しむゆとりが、彼にはまだあるようだ。そして、口先や字面だけでのやりとりに「人生を賭け」続けている。おめでたいことこの上ない。

 まるで、自切したトカゲの尻尾がのたうち回るように、日々巷に自分の恥を撒き散らし続けている。ただただ無様だ。

 きっと彼はこの先も、きっと土に還るまでこのまま、ことあるごとに逃げ出しては、難民の如き身の上を演じ続けていくのだろう。彼と決別して交わりを絶った今となっては、何かをしてやることも出来ないし、そのつもりもない。海の向こうの出来事のように、遠い眼で眺めては、せいぜい達者で暮らせ、としか言えない。いや、言いたくもない。野垂れて果てても、憐れむこともしないだろう。




 ここで自分がなすべきは、この無様を前にして、かくも惨めには生きるまいと、その思いを新たにすること。明日に自分が、その道を追う危うさを残している限りは、この醜態を、しっかりと瞼に焼き付けておくこと。それしかない。

2012年8月23日木曜日

断片

力なく地を這う蝉を見ていたら、もう、何もかもが嫌になってきた。

2012年8月22日水曜日

野辺送り

 まだ微かに生気のあるその人に、
「また来ますね」
と言った、僅か半日ほどで、その人は召されていった。


 遺された方とは別のところで、言い知れぬ悲しみと、やりきれなさが込み上げる。時間が経つほど、やりきれなさばかりが増幅されて、あらゆる罪悪の根源が、自分にあるかのような感情に襲われる。

 違うちがう、そうではない。今日はお弔いに来たのだ。

 棺を乗せた台車に従い、炉へと向かう。いずれ自分も送られるときに、そこには誰が側にいてくれるのだろうかと考えるが、誰の顔も浮かんでこない。

 今は、この野辺送りに専心すべきであろうものを。余計なことばかり考えて。