思えば、昨年の今日もくさくさしながら仕事をしていた。こんな世界はブッ壊れてしまえばいいと半ば本気で考えていた。ふて腐れてキーボードを叩いていた時、勤務先の免震構造のビルは大きく揺れ、積み重ねた書類は雪崩のように勢いよく崩れ、ディスプレイもオフィスの照明も真っ暗になった。リアルに世界が壊れた瞬間だった。
担当者の誘導に従い退館すると、街中の信号や案内表示は消え、バスロータリーは車がお互い譲り合いつつ行き来していた。ベンチは高齢者や体調を崩した人のために空けられ、余震に脅えながら各々が精一杯に秩序の維持に務めていた。職場のヘルメットを被って退館していた自分は警察官が来るまで、必死に交通整理をしていた。
誰かの携帯電話のワンセグTVで大津波警報を知った。東北の親戚達の無事を案じつつも、妻子や両親の安否が判らず、不安から何度も何度もメールを送信していた。とても冷静ではいられなかった。約2時間後、妻と母から子供達を含めて無事だと知らされた時、やっと自分の携帯電話の充電池を他人に貸す余裕が生まれた。
電車は止まりバスは去り、タクシーなんてどこにもいない。自分の職場は発災後の対応の為に散開することが決まった。2時間歩いて帰宅するつもりでいたが、車通勤の同僚が、わざわざ実家経由で自宅近くまで送ってくれた。その頃、叔父は既に東北に車を飛ばし、共に阪神大震災の復興支援をした友人は、直ちに支援物資の収集を始めていたという。
自分の周辺でも幾人か亡くなり、未だに行方が知れない人もいる。被災地に派遣された同僚や後輩から現地の話を聞き、自分も津波の爪痕を見てきた。困ったことに、向こう見ずな性格は全く治らないが、もう世界がブッ壊れてしまえ、とは思わなくなった。
昼間の職業は職業として、自分はこれからもシニカルで、またラジカルであり続けたい。何も言わずに去っていった人達が飲み込んだままの、アイロニーに思いを馳せながら、やりとりを繰り返す様々な言葉の奥に潜んだ繊細なところを、彼らの分も楽しみながら生きていこうと思う。それくらいしか出来ないから。
去っていったすべての人々には、ごめんなさい、さようなら、ありがとう。そして、今も苦しみの中にあるすべての人々と共に、未だに踏ん反り返ったままの連中へ、振り向き様のアカンベーを、いつまでもかまし続けてやろう、という決意をもって、一年目の締め括りにしたい。明日もまた毒づくぞ。まだ生きているんだから。